「さようなら」はなぜ別れの挨拶になったのか

2026年6月4日 2026年8月2日 更新 Trivinews編集部
トリビアヤマネコ
トリビアヤマネコ
トリ先生、「さようなら」ってよう考えたら変な言葉やない?「さようなら」だけやと、意味が全然分からんやん。
トリ先生
トリ先生
ふふ、鋭いね。実はあの言葉、もともとは接続詞だったんだよ。

「さようならば」は「そうであるならば」という接続詞だった

トリ先生
トリ先生
「さようなら」は古語の「さようならば(左様ならば)」が短くなったものだよ。「そういうことであれば」「それでは」という意味の、単なる接続詞だったんだ。
トリビアヤマネコ
トリビアヤマネコ
え、挨拶やのうて「それでは」くらいの意味やったんか。
トリ先生
トリ先生
そう。江戸時代ごろまでは「さようならば、これにて」のように、別れの言葉の前置きとして使われてた。本来伝えたい別れの言葉が省略され、前置きの「さようならば」だけが残って、それ自体が別れの挨拶として独立していったんだ。

なぜ「それでは」が別れの言葉になったのか

トリビアヤマネコ
トリビアヤマネコ
ほんで、なんで「それでは」だけで別れの意味になったん?
トリ先生
トリ先生
「そういう事情であれば、仕方ない、ここで区切りをつけましょう」という状況認識そのものが、日本語では別れの合図として機能した、と考えられてる。事情や状況を丁寧に受け止めた上で別れる、という奥ゆかしさが背景にあるんだね。
トリ先生
トリ先生
言葉を最後まで言わずに、相手に察してもらう——これは日本語の別れの表現によく見られる特徴だよ。

世界の「さようなら」も似た成り立ちを持つ

  • 英語 “goodbye” ―― “God be with you”(神があなたと共にありますように)が短縮された言葉
  • スペイン語 “adiós” ―― “a Dios”(神へ、神にゆだねて)が語源
  • フランス語 “au revoir” ―― “また会う日まで”という意味がそのまま言葉になっている
トリビアヤマネコ
トリビアヤマネコ
日本語は「それでは」を残して、他の言語は「また会おうな」を残したっちゅうことか。
トリ先生
トリ先生
面白いところだね。「さようなら」は、本来伝えたかった言葉を省略し、状況を受け止める前置きだけが別れの挨拶として定着した、日本語らしい言葉なんだよ。

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